2008年02月16日

本/雑誌】 伊藤整『鳴海仙吉』

鳴海仙吉 (岩波文庫)鳴海仙吉 (岩波文庫)
伊藤 整

岩波書店 2006-07
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今年に入ってから何となくジャンルを固定せずに読もうという意識(はて?)が強くなっているためか、図書館で本を借りるとき「戦国系2冊、ミステリ1冊、エンタメ系1冊、純文系1冊、ラノベ1冊」のような消化不良を起こしそうな借り方をしています。とは言え、音楽にも言えることですがワタシは元々物事に関するジャンル分けの概念に疎いためどれがどのジャンルに属するのかよく分からんのですね。なのでこのジャンル傾向借りも明確な基準があるのではなく主な判断基準は装丁と出版社です。そしてこの伊藤整先生の『鳴海仙吉』は岩波文庫だったので純文だろうと適当に判断して借りた訳ですがなんか色々と予想を裏切ってくれて面白かった。


この『鳴海仙吉』というタイトルが前から気になっていた上、分厚くて読み応えがありそうだったため借りたのですが作者があの著名な評論家の伊藤整先生であることに気付いたのは読み始めてから。冒頭を読んでいたときは単なる私小説だと思っていたのに途中でいきなり主人公鳴海仙吉が雑誌に発表したという体裁の評論文が章ひとつ分丸々使って登場した上、仙吉自作の詩なんかも随時ぽんぽん出てきてしまうのだからアレと思うのも当然って言うか作者の名前くらい読め自分。教科書にも載るようなお堅い評論野郎のイメージがあった伊藤先生が小説を書いていたことは知っていましたが、こんな愛だの恋だのに迷ったり卑屈オーラ全開の鬱男の独白を延々続けたりする人間臭い小説を書くなんて意外だったなぁ。ただ単にワタシが無知なだけなんですが。でもホントあの肖像写真と『小説の方法』のイメージから「一緒に死んで呉れなかったの」なんてセンチメンタルなフレーズは出てこない。まぁアレは仙吉の作品で伊藤先生が書いた訳ではないといわれればそれまでですが、どうみても仙吉の描写(特に見た目)は伊藤先生そのものな気がしてならないのですよ。冒頭で「私小説ではなく鳴海仙吉はあなたです」という文言がなければ間違いなく自伝だと思ったに違いない。とブツブツ言ったところで小説として発表された以上、それが虚構であれ事実であれ読むワタシにとっては対岸の火事には変わりがないので嘘か誠かはどうでも良い。ただ今まで知っていた伊藤整のイメージとは随分違うところにあったかなぁ。評論ってあまり得意でないので伊藤先生は敬遠していたのですが、小説は割と好きなタイプかもしれない。常に思考の中心は自分で他者の自分に対する目、自分が他社に振舞う行動に対する他者の批評を気にする辺りは特に痛いところ突くなぁって感じ。基本的に文系の男子女子って自意識過剰だなぁと常日頃自覚しているそれを思いっきり引き摺り出されるような気持ちにさせられたのは勘弁だったけど、また1年後くらいに読んでみたい。


しかしこの「私小説+詩+評論」のチャンポン、正直こんなに自分のやりたいことを1冊に詰め込むなんて贅沢すぎやしないか。しかもオチは後味の悪い感じの戯曲で締めてるし。ワタシはユリ子に同情出来ないので仙吉を非難する気持ちにもなれないのですが、マリ子とユリ子のお互いに対する薄ぼんやりとした悪意が妙に怖かった。あと仙吉の奥さんが全く登場しないあたりに夏目先生の『こころ』のお嬢さんを思い出した。常に正当なポジションにいるものは外野に置かれるのが日本文学の伝統なのかしら。